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報道は「よくしつけられた飼い犬」であってはならない 江川紹子

江川紹子さん(ジャーナリスト・神奈川大学特任教授)が、

「報道・ジャーナリズムの在り方」についてメッセージを送ってますね。

 

我々国民は、報道は中立で偏りがないと信じています。

でも利権問題等で情報コントロールされたら信用を失います。

東京五輪でも大手新聞社が軒並みそろえて公式スポンサーだったことも

利害関係により報道の操作などがされていたら困ります。

我々国民も、いろんな角度からソースを集め、精査してゆく必要があると思います。

 

 

news.yahoo.co.jp

報道は「よくしつけられた飼い犬」であってはならない

「いつ」報じるかも、報道の自由の一部だ。報道機関やジャーナリストは、「よくしつけられた飼い犬」であってはならない。政府がゴーサインを与えるまで、大事な事実を知っても書かないメディアは、結局のところ、政府から「よし」と言ってもらえない限り、永遠に事実を書けないだろう。


情報を一本化してグリップしたいというのは、権力者としてありがちな発想だが、政府の中で交わされる様々な情報や政策決定のプロセスが国民の目に届くのも、民主主義国家の中では大事なことだ。



「早く知りたい」に応えるのも報道の役割

「早く知りたい」に応えようとするのは、報道機関の役割の1つだ。

 急ぐあまり事実確認がおろそかになってはいけない。また、警察・検察が誰を逮捕したかといった情報など、発表より早く報じても、「社会的な付加価値」は大してない場合も多いだろう。しかし、例外はある。報道する価値があるかどうかは、報道関係者の判断と読者・視聴者の反応によって決まることで、権力を持つ側の人間が決めることではない。

 

 

情報コントロールを巡る閣内ギクシャク

河野氏からすれば、ワクチンの確保と供給は自身の所管であり、それに関する情報発信は自身に一本化して行いたいのだろう。そこで市中に出回っている情報をリセットし、担当者として改めて正確な情報発信に努めるつもりなのに、勝手に発信されて困る、ということではないか。

 

最初の発言の前に、そうした話し合いをしてもよさそうなものだ。ところが、彼は記者会見という公の席で発言の修正を求め、ワクチンの確保と供給に関する情報発信は自身に一本化すべきであると強烈にアピールして、波風を立てる。いかにも河野氏らしい、とも言える。

 ただ、このような情報の主導権争いは、国民にとっては意味がない。政府内で互いの立場を考えた調整すらできず、もっと複雑でより多く関係者への配慮が必要なワクチン供給事業は大丈夫なのだろうか、という心配さえ出てくる。

 

 

 

河野太郎・ワクチン担当相への期待と懸念~その発信力と情報コントロールへのこだわりについて~(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

“報道は「よくしつけられた飼い犬」であってはならない”

2021/01/23 13:18


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